メッサーシュミット Bf109 E3
 Bf109 E3 J.プリラー中尉機
  シリーズ総数33,000機以上の生産が行われたBf109は、第二次大戦を代表する戦闘機のひとつである。
  Bf109は全金属性、低翼単葉、引き込み脚、キャノピー装備というレシプロ戦闘機の標準的なスタイルを確立した
  機体でもあり、原型機が完成したのは1935年であった。
  以後、スペイン内乱から第二次大戦の全期間を通じ、ドイツ空軍主力戦闘機としてあらゆる戦線で
  連合軍戦闘機と銃火を交えた。
  戦訓によりその姿は常にアップデートされたが基本設計は変わらずドイツの興亡と共に在り続けた。
  戦後、多くのエクスパルテンは自らの誇りと共にBf109こそ最高の機体であると評したと言う。

 架空戦記の裏側 〜ヨゼフ・プリラー中尉〜
  ノルマンディ上陸作戦でたった2機のFw190が海岸に殺到する上陸部隊に攻撃を加えたというエピソードは
  映画「史上最大の作戦」でも描かれているが、僚機を従え一矢報いたそのパイロットこそ
  当時JG26航空団司令官であったプリラーであった。
  総撃墜数101機のスコアを持つプリラーは1940年のフランス戦で初の戦果を記録し、
  バトル・オブ・ブリテンを戦う中でガーランド率いるJG26に転じたが、本商品の機体はJG26へ移る以前の
  JG51第6中隊長時のものである。

A6M2b (j) ”ZERO”
 A6M2b (j) ”ZERO” H.J.マルセイユ大尉機
  戦闘機に求められる特性はその用兵思想により大きく変わる。
  欧州での戦闘を前提に作られたドイツの主力戦闘機Bf109は高速を利した打撃力に秀でながらも、
  ドーバーを超えての対英戦で航続力の短さが仇となった。
  中継地の限られる太平洋上での戦闘が想定された零戦は長大な航続力が求められ、機体の軽量化による
  旋回性能は格段であったがそれは防御・防弾能力を犠牲にして得たもので被撃墜率も高かった。
  名機と呼ばれる機体の要件は、火力・速力・上昇力・運動性・防御装備といった様々な要素のバランスにより
  成り立つが太平洋戦争初期の零戦は間違いなく名機であった。

 【 架空戦記の表側 〜ハンス・ヨアヒム・マルセイユ大尉〜】
  アフリカの星と呼ばれたマルセイユは卓越した空戦技能により米英軍機を相手に158機のスコアを挙げたが、
  空軍のトップエースの活躍はドイツ国内に喧伝されドイツのみならず全世界にその名を知らしめた。
  ドイツ空軍では一撃離脱の空戦スタイルが一般的であったが、マルセイユは旋回しながらの見越し射撃を得意とし、
  ガーランドから火力が劣ると評されたBf109 F型を駆り北アフリカの空を舞った。
  運動性の高い零戦に座することがあれば更なるスコアは約されたであろう。


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